【生きるために必要なこと】絶対と相対

自由に生きるための話

自分よりもきつい人がいるかもしれない

 

どうもこんにちは。ワヲンです。

 

さて、あなたは、

「自分よりもきつい人がいるかもしれない・・・」

そうやって考えて、自分自身は「しんどい」と思っているのに、

もっと頑張らなきゃ!!!と頑張ったことありませんか?

 

しかもその結果、ものすごいしんどい思いと、

そこから頑張るために心を削った疲労感でいっぱいになりませんでしたか?

 

正直、そんな気持ちをいつまでも持っていると、

常に「しんどさ」が抜けずに、心が休まらなくなってしまいます。

 

その結果、うつのようになってしまったり、

精神病のようになってしまうことだって考えられます。

 

他人の方がきついから頑張らなきゃと考える人は、

真面目な人だと思いますが、気にしなくて良いものにまで、

気を遣うのは、正直バカバカしいです。

 

ですので、今回はそんな気持ちになった時の対処法をご紹介します。




3歩くらい引いてみる

そもそもこの話、とある方から、

質問箱にいただいたご質問が、とてもいい質問だと思ったので、

それをさらに詳しく書いた形になっています。

 

その質問とは、

 

というご質問です。

こんな気持ち、あなたも持ったことがあるでしょう。

 

これに対して、僕がTwitterで返した内容がこちらです。

 

ここで、回答した内容は、

「絶対的」な感覚と「相対的」な感覚があるから、

それを切り離して、「相対的」に関しては、そこまで考えずに、

「絶対的」な感覚を信じよう

 

という感じです。

 

これについてもう少し深く解説します。




 

絶対的とは

絶対的という言葉の意味を調べてみると、

[形動]他の何物ともくらべようもない状態・存在であるさま。

出典:コトバンクhttps://kotobank.jp/word/%E7%B5%B6%E5%AF%BE%E7%9A%84-548310

だということが分かります。

 

「比べられない」という状態です。

 

例えば、僕の身長は「187cm」なのですが、

これはcmという単位を用いて測った際の絶対的なものです。

 

1cmが1cmである以上、東京タワーが33300cmでも、

僕の身長は「187cm」で変わりはしません。

 

これをいただいた質問で行けば、

「きつい」「しんどい」「痛い」と感じる感覚は、

“あなた”という基準が変わらない以上、

絶対的なものです。

 

そのきついという感情は、

誰かと比べても変わることのない、

「きつさ」です。

 

相対的とは

では、もう一つ。

相対的という意味を調べてみます。

[形動]他との関係において成り立つさま。また、他との比較の上に成り立つさま。

出典:コトバンクhttps://kotobank.jp/word/%E7%9B%B8%E5%AF%BE%E7%9A%84-552841#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89

 

「他との比較」をしているのが相対的です。

 

身長の話でいえば、

東京タワーが33300cm、僕の身長が187cm。

僕から見たときに、東京タワーは「大きい」です。

ただ、この大きな東京タワーを富士山(377600cm)と比べると、

東京タワーは小さくなります。

 

ご相談いただいた話でいえば、

ただお腹が冷えた腹痛と、人に殴られた痛みの

どちらが痛いのかと言えば、多分殴られた痛みでしょう。

でも、殴られた痛みも、事件に巻き込まれて刃物で刺されるよりは、

軽い痛みだと思います。

 

この相対的なものというのは、

「何を基準にするのか」で捉え方変わってしまうのです。

 

他にも●●な人が・・・という考え方が危険な理由

では、なんで相対的な考え方をお勧めしないのかというと、

「他にももっと○○な人が・・・」と考え始めたときに、

究極的に言えばなにもできなくなってしまうからです。

 

例えば、

もっと苦しい思いをしている人がいるはずだから頑張らなきゃと

考える場合、

 

もし日本だけを探しても、1億人以上の人がいるわけですから、

多分自分よりも苦しい思いをしている人がいっぱいいるはずです。

 

別にそこから頑張ったって良いのですが、

ほぼ必ず、そのきつい思いは強くなっていきます。

 

これをケガとかにして考えてみればいいのですが、

僕がかかとを骨折して歩けないほど痛い となったけど、

この世界には、脚を切断したばかりのひどく辛い思いをしている人がいると

考えて、無理やり歩いてしまうとしましょう。

 

で、僕のかかとがそれによって良くなるかというと、

全くそうではないです。

逆に、くだらねえこと言ってないで早く休めよって感じだと思います。

 

では、そこで思い浮かんだ、

「脚を切断した人」が骨折した人が無理やり歩くことによって、

なにか得をするのかというと、何も得しません。

 

さらに、それでは世界が何か得をするのかといえば、

骨折した人が治りが遅くなったので、健康的な人が少し減った

 

という結論に至るわけです。

 

すでにお気づきかもしれませんが、

「あなたが辛い」ことと、

「もっと辛い人がいる」ことは圧倒的に関係のないことなのです。

 

まとめ

相対的な感覚は、無視してもよいです。

絶対的な感覚を信じて、しんどいときはしんどいと言いましょう。

そして、それは比較できるものではありません。

 

あなたがなにか感覚を持った時に、

それが絶対的なものなのか、相対的なものなのかを3歩くらい引いたところで、

判別できるようになると、非常に楽な生活ができるのではないかと思います。